駅前サンロード

立川アートコレクション

平安時代に武蔵七党(しちとう/武蔵国に分布する中小武士団7グループ)のうちの西党がこの地を納めていきます。立川の原型です。
鎌倉時代から戦国時代にかけては、西党に所属していた立河氏が台頭し施政。立河氏は当時の歴史書「吾妻鏡」にて鎌倉御家人と記載されています。諸所の記録において「立河」から「立川」と表記が変わっており、このエリアが立川と呼ばれる由来の一つとなっています(諸説あり)。「たてかわ」と呼称されていたといわれています。
市内にある普済寺は立川宮宗恒がに和文4年に開基(1355年)。イチョウ大樹がある境内は宗恒が建立した立川館の跡といわれ、立川氏の居住でもありました(移転説あり)。国宝である六面石幢(せきどう)が有名です。

▲普済寺

江戸期は砂川村と柴崎村により構成されました。このころ行われた武蔵新田開発により、農業や産業が発展します。
もともと水がなく田畑に向いていない土地でしたが、玉川上水から分水することにより、新田開発が可能となりました。
砂川村では養蚕とそれに付随する織物産業が。柴崎村ではアユ漁が盛んになります。そして八王子など他の地域へ作物の販売を行うようになりました。
江戸も芋や大根などの販売先となり、人的交流も増えます。江戸との繋がりが地域の発展に寄与していくことは現在の多摩エリアと東京都区部(23区)の関係の原型ともいえるでしょう。そして多摩エリア主要都市としてのキャラクターがより明確となっていきます。

▲多摩モノレール

明治に入ると、品川県を経て神奈川県下となります。その後は砂川村、柴崎村が統合され、明治26年(1893年)に東京府所属となりました。そして昭和15年(1940年)に立川市として成立。現在に至ります。
明治初期には玉川上水を船が渡ることで交通路となっていましたが、それにより水質が悪化。東京都下の飲料水に影響が出るため禁止となります。それもあってでしょう、明治22年(1889年)に甲武鉄道が線路を引きます。立川と新宿を結ぶこの鉄道がのちのJR中央線となります。立川駅はこのときから現在の位置にあります。その後は明治27年(1894年)に青梅鉄道(現JR青梅線)、昭和4年(1929年)には南武鉄道(現JR南武線)と立川駅を拠点として鉄道が広がり、地域のハブ駅となりました。現在は多摩モノレールも加わりマンモス駅となっています。

交通網が充実していくと、都下に近く広い土地を活用して軍が施設や基地を作るようになります。大正15年(1926年)には岐阜を拠点としていた陸軍航空第五大隊が移転。それに伴い、立川飛行場が完成します。原野や田畑150万平方メートルを切り開く大事業でした。その後は陸軍航空技術研究所など航空関連施設が集中し、軍需工場も建てられ軍都となっていきます。府中なども軍向けの民間工場が多く、当時のこの地域は広く軍需産業地でした。
その傍ら、立川飛行場を活用した民間航空会社も設立され、日本初の定期航空便が運行されます。立川飛行場は軍と民間両方が利用する空港として大きな役割を担っていました。
第二次大戦後は立川飛行場が米軍により立川基地となり、街も軍人相手の歓楽街がある基地の街となっていきます。米軍進出においては「砂川闘争」など地域住民との軋轢も生み出すこととなり、日米安保関連で揺れた街の一つでもあります。

昭和49年(1974年)立川市基本構想が立案され、昭和52年(1980年)に基地が返還されると市は跡地利用の意見書を国に提出。昭和記念公園の誘致に成功します。市内に広大な公園設立が実現しました。その後立川基地の返還促進も本格的に始まり、上下水道の整備など生活インフラを整えると、人口増加が進み商業施設も多く建ち始めます。
そして平成17年(2005年)立川駅周辺の再開発が始まりました。「立川ステーションルネッサンス」と銘打ち、駅の増床やトイレ、エスカレーターを増やすなど以外に、旅行窓口とみどりの窓口を統合した「びゅうプラザ」を設置するなど利便性を拡張。駅から商業施設へスムーズに渡れるペデストリアンデッキ(歩行者用中空路)を敷き、またエキュート立川、ホテルメッツ立川も開業させるなど大胆な再開発を進めました。
現在は米軍基地跡地に立つファーレ立川を中心に「文化の街」化を進めるなど、来てもいい、住んでもいい街を目指しさらに発展しています。

もともと飛行場跡地に建てられたファーレ立川では「ファーレ立川アート」として芸術家たちの作品を並べています。ファーレを中心に市全体で「基地の街」から「文化の街」への変換に取り組んでいます。
ファーレ立川は商業施設ではなく特定区画の名称。高島屋やシネマシティ、パレスホテル立川などの商業施設から、立川中央図書館、立川商工会議所など公共機関までが集まっています。
ファーレ立川アートのコンセプトは「驚きと発見」。歩道や建物壁面にアート作品がちりばめられています。隠すように配置されている作品もあり、あ!こんなところにも!という楽しさを提供してくれます。サイトに作品が紹介されているので探しに行くのもいいですね。
市では「まち全体が美術館」をスローガンとして、ファーレ立川以外も市全体にアート作品を並べています。

駅前サンロード

昭和記念公園

諏訪ノ森公園

立川市では映画やドラマの撮影誘致を行なってます。キャストやスタッフのお弁当から宿泊施設の手配まで至れり尽くせり。もちろん街のPRが目的ですが、制作会社にとっては心強いですよね。最近ではヒット作「シン・ゴジラ」で立川広域防災基地の通りなどが使われています。
乃木坂46のPVでは小学校跡地である、たまがわ・みらいパークが使用されました。
駅前のサンサンロードや昭和記念公園のような名所、または商工会議所や立川羽衣商店街など作品に応じて様々な場所が利用されています。ロケ現場を見かけることもきっと多いことでしょう。